正しさってなんだろう? | 算術師の、何だかそんなもの。

正しさってなんだろう?

算術師です。
更新滞って申し訳ありません。ちょっと更新でき無い状態でした。

アクセス状況が2人/日とかですが、もうここまでいくと開き直って好きに書いていきたいと思います。
先日の記事にて正しさの基準の正しさはどうやって保証するのか?というある意味凄く哲学的で難しい問題にチャレンジする破目になってしまったのですが…まぁ、私なりの考えを述べてみようと思います。

さて、私の考えなのですが極論言ってしまえば妥当かどうかの問題はありますが、

基準の正しさは保証できない。

これに尽きます。
まぁ、身も蓋もありません。

正直、凡ての基準はその基準の示す内容は正しいとするという定義なのだと思います。基準自体が正しいと言うよりは、その基準が運用されることで正しさを獲得していくと言う方が近いのではないでしょうか?

例えば殺人は悪であるという基準を用意します。

この基準はそれ自体では何の拘束力もありません。人殺しは悪いことだ、とどれだけ言っても凶器を構えて殺す気満満な人相手には説得材料に大してなりません。向こうはそんな物どうでも良いと思ってるわけですから。

この説得が有効になるためには相手側もその基準を共有しておく必要があります。要するに殺人は悪であると広く認識され、尚且つそれが罰される環境が必要になる、と言うことです。

間接的には信じている人たちが保証していると言えるのかもしれません。

ちょっと纏まりが悪いですが、皆さんの意見をお聞かせいただきたいと思います。