Blogの文章について思うこと。 | 算術師の、何だかそんなもの。

Blogの文章について思うこと。

算術師です。

更新が激しく滞って毎度申し訳ないです。
花粉症のついでに風邪引いたらしく、頭の働きが鈍いです。
と言うか、この体調な時に2時間愚痴やらなにやらな電話に付き合せてくれた友人に幸いあれ。
エントリ1つ書くのに凄く時間を消耗してしまう人種なので、もう少し計画的に時間配分したいと思ってます。

さて、ネットをぶらぶら巡回してたら興味深いサイト(実態はBlogですが)を発見しました。

夜泣爺文学舎
Blog主の夜泣爺さんは知識豊富な方で、記事の読み物としての完成度も非常に高いです。

正直、「凄い凄い」と感心するばかりで何だか駄目っぽいですが気にしてはいけません。




18日の記事「10の質問」gachapinfanさんからトラックバック頂きました。(1件目

宣伝半分報告半分に送ったトラックバックに返答頂き、有難うございました。




さて、主にはてなで話題になってるAlbiniさんのBlogこの記事(大分出遅れていますが、色々ダウンしてたのでご容赦を)ですが、個人的な見解を。要約等はgachapinfanさんのBlogこの記事とかnopikoさんのBlogこの記事とかを参考に読むと論点が解りやすいかと。

要約すると、Blogは自意識・自己満足を満たすツールとして運用される可能性が高く、学問的なコンテンツを含むBlogは衒学なものやら痛いものになってしまうのではないか(だから学問的なコンテンツはBlogと言う形態をとるべきではないとも主張していらっしゃいます)? あと、痛々しい人間が出来上がる素地になるから学生のうちから「自分語り」をメインにしたBlogなんて書かないほうが良いのではないか? そして、痛いコンテンツを規制する意味でBlogを免許制にしてはどうだろうかと、そう言った内用です。少なくとも私はそう読みました。

で、私の正直な感想です。
自分語り系のBlogで問題になってる「文章の痛さ」「衒学傾向」…更に言えば、Blog自体の日常をネタの引き出しに用いる傾向…。

非常に、とあるものに似ています。

私小説です。

私は、私小説に自分語り系Blogの原型を見ます。


―――――以下、暫く私小説について(文章荒いので注意)―――――
私が読んだ私小説が外れしか無い可能性も勿論ある。

が、敢えて言わせていただきたい。
私小説は非常に非常につまらなかった

内容が希薄であり(そりゃ日常がそのままなんだから仕様がないかもしれないが)、言ってる内容がありきたりであり(しかも、自分がその事を特別に思いついたような口ぶりで語るのが不快感を煽る)、そして結局「自分はインテリなんです。特別なんです」と主張しているだけ。

このようなものが高尚であり、評価に値する文章であると評価している文壇にいる人間はやはり同じような自己主張をしたい人種しか居ないのだろうとも思ったこともある。正直、推測で批判するのは宜しく無いので主張すべき内容で無いことはわかっているが。
―――――私小説について、終わり(元の記事に戻ります)―――――


と言う訳で、個人的には私小説の文章≒自分語り系Blogの文章と見做しています。
なので、論文的な文章が書ける≠自分語り系Blogの文章が書けるというのは正しいでしょう。と言うか、勘違いしたままBlog書き続けると普通の文章も論文的な文章も書けるようにならないのでその辺は要注意ですが。
まぁ、私小説の場合はあれでも文壇なるものがあったので最低品質を保っていた(?)と見ることも出来ます。

そう言う意味でも今必要なのは免許ではなく文壇(Blogを批評するBlog)なのではないかな、と。まぁ、そんな面倒なこと誰がやるんだって感じですが。まぁ、物好きな方はいるのでしょう。きっと。

Blogの弊害については認識しつつ、日々自省して行きたいものです。