並行世界はいつ分岐するのか? | 算術師の、何だかそんなもの。

並行世界はいつ分岐するのか?

算術師です。

さて、散々寝たお蔭でそれなりに復調してたのですが、結局夜通し思考実験やってて知恵熱出ながら惰性で記事書いてました。

何だか激しく本末転倒な気がします。

最近腹筋を毎日してる所為か、何か腹が無闇に重いのですが…気にしたら負けだと思ってます。
やはり腹筋してから湿布でも貼って誤魔化しておきます。

最近野菜が無性に食べたくなるのは、良い傾向なのでしょうか?

嗚呼、何だか思考纏まってないですね…。徹夜とエントリ書くのに全力投球したからだと、そう思ってください。



さて、今回は大分前 に取り上げる取り上げると言っていた「並行世界が何によって分岐するのか?」について考えてみたいと思います。

とは言ってもこのトピック、調べれば調べるほど判らなくなっていってしまって途方に暮れています。
嗚呼、また風呂敷広げすぎたかなぁ…と、今更思ったり。

まず、並行世界 とは何ぞや? と言う人も居るかもしれないので簡単に並行世界 について軽く説明を。

並行世界 とは、一言で言ってしまえば私たちが住んでいる世界と「少し異なる」世界のことです。

並行世界の基本的なイメージは量子力学に於ける多世界解釈 に立脚していると思われます。

論争の経緯についてはこの記事 とかこの記事 とかが解説になると思いますが、例によって簡単に説明を。

電子やら光子やらを主役とするレベルの物理現象(要するに量子論の世界)では、物体の運動は確率論的にしか決定できません。また、運動の速度と位置を同時に厳密に求めることは出来ません(不確定性原理)。不確定性原理については説明し始めると1エントリ消費してしまうので、また別にエントリを起こそうかと思います。

兎も角不確定な運動をする世界に於いては、運動は確率論的に表現されます。単純に確率論的に表現されるだけで、運動結果が一意に決まるのか?と言うとそうでもないようで、光子1個単位で2つのスリットを用いて干渉実験(画像つきの解説がこの記事 に掲載されています。その他の部分 も理解の助けになると思います。文章はアレですが。)を行うと光子の分布パターンが縞模様になることが明らかになっています。

これが何を意味するかについては多数の解釈が存在します。

代表的なものがコペンハーゲン解釈 と呼ばれる物で、観測されるまで状態は決定できない状態にあるというものです。まぁ、かなり理不尽な解釈なような気もしますが、理論の扱いやすさから主流として使われています。(量子理論レベルの物体の運動は、厳密に言えば観測できない状態…つまり判らない状態なようです。実際問題。)

さて、これに対して多世界解釈 とはどのようなものかと言いますと、観測される前に既に状態は決定していて、実は結果Aとなった世界Aと結果Bとなった世界Bに分岐してしまっているのではないか? と言う考えです。

まぁ、二つの解釈はどっちがより妥当なのか(どちらが正しいか? は今のところ不明であると思われます)は現在進行形で思いっきり論争中 なのでこの際考えないことにしておいて(並行世界を考えるので、今回は多世界解釈 を採用することになります)、並行世界について考えることにしましょう。

さて、平たく言ってしまえば多世界解釈 をちょっとSF的に拡大解釈したのが並行世界です(実際のところ、多世界解釈を主張する研究者は、一般的な並行世界 の概念は正確な物でないと主張しています)。判りやすく言えば、選択肢方式のアドベンチャーゲームのエンディングみたいに、選択肢によってそれぞれ違う世界がその後待っているのではないのか? と言うものです。要するに、個人の行動が世界を分岐させてしまうのではないか? と。この説明で判らない人は、某車でタイムトラベルする映画 でも見てください。多分一発で判りますから。

この考えに拠りますと、私たちが普段している山ほどの選択の結果が、それこそ無数の分岐を産み得ると、そう言うことになります。それこそもしもの世界ですね。私が今Blogを書いていない今とか、私がこの記事をもう書き終わっている今とか、はたまた完全に健康を取り戻してて全然別のことをしている今とか、そんな物があるかも知れないのです。今の私には見ることも出来ませんが

さて、私の個人的解釈ですが…。正直、個人の選択で世界が分岐するなんて甘いと、そう思います。世界に対して人間なんてちっぽけな物です。この宇宙を1つの物体と考えると個人の行動で地球の歴史が大幅に書き換わろうが、そんなものは誤差です。まぁ、勿論大昔には地球の歴史に対して人類の行動がちっぽけだったことを考えると今後も宇宙に対して人間がちっぽけであると言う証左はありませんが。

何も世界を分岐させうるのは個人の選択だけではありません。それは水分子の振動だったり、天体の運動だったり、素粒子の運動だったりするのだと、そう思います。SFとかの並行世界と言うのは、個人の行動が世界を分岐させうる面を取り上げすぎている(個人の影響力を誇大に見せている)のだと思います。まぁでも、個人の影響力が大きくない(物語の結末に寄与しない)お話は面白みも何もないのである意味仕方ないのかもしれません。兎も角、世界が私たちにとってその選択がどれだけ大事かなんて理解できない(少なくともその可能性が高い)のだから、全ての揺らぎ(世界の分岐の種になる事柄)は等価で扱われていると考えるのが自然ではないでしょうか?

多分、それこそ並行世界なんて無数にあるんです。ただ、人間の目には無意味な、そして大差ない沢山の分岐も含めてそれこそ無数に。

そして、私たちが知覚しているのは無数の分岐を綴った世界のその内の一つの射影に過ぎないのかもしれません。いや、寧ろそうなのでしょう。だとすれば、やはり世界は理不尽な物なのかもしれません。私たちは選びたくてこの選択肢を選んだ訳ではなく、この選択肢を気付けば選ばされていただけなのかもしれません。

結局、私たちは現在進行形で釈迦の手のひらの上で遊ばされてた孫悟空なんでしょうか…。

何だか見当もつきません。



今回参考にしたページ

哲学的な何か、あと科学とか
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/index.html

Dr. Sakaguchi's Homepage(Japanese)
http://www.threeweb.ad.jp/~qm/index_jap.html

MOON LIGHT EXPRESS
http://www.mlexp.com/

Wikipedia(日本版)
http://ja.wikipedia.org/wiki/



2005 4 25 09:30 の加筆修正

ページの表示が文字化けする不具合を調整。