算術師の、何だかそんなもの。 -2ページ目

お知らせ

算術師です。


何だかアクセス者数減少中です。

うーん…。無策でがんばろう計画もそろそろ方針変更しないといけませんねぇ…。


何処かにトラックバックを打ったりしてみますかねぇ…。





さて、今更ながら記事を軽く分類してみました。大体以下の通りです。


・些事…日常のちょっとした事やら、お知らせとか

・世界…社会・世界と個人の関係性についてあれこれ考える

・窮理…物事を少し掘り下げて考えてみる

・思考…思考実験をしてみる

・ブログ…Blogについて考える


以上、こんな感じに分類していきます。

過去の記事探すのに参考にしていただければ幸いです。…まぁ、そう言う需要があれば、ですけど。

連休万歳。

算術師です。


連休をちょっと怠惰気味に満喫中です。

と怠惰気味な割に運動してたり、知り合いと変な議論をしていたり、次の記事の方向性を練ってたりとかこそこそ活動中です。うーん…有意義に生きているのでしょうか? 割と。





昨日の記事 の続きを今書いているのですが、個人的な品質保証の面からまだ表に出せそうに無いなとそう思ってます。


という訳で、続きは明日のうちに書きますので暫くお待ちください。

世界に対する影響と個人の心理的領土について。

算術師です。

コメント欄 で大失態やらかしました。自分が紹介したはずの頁を他のページと完全に取り違えていた模様。…それ以前に紹介した割に量子力学について無知であることを明らかにしてしまいました。


あと、全然関係ないですけど、最近ぐーぐる先生劇薬入り 認定されたり、何だかそんな で検索するとトップに出てしまったりと、かなり不思議な状況になっています。何だかんだで認知されてきてるんですかねぇ…。

 





さて、日が開いてしまいましたが予告 の通り考えていこうかと。


27日の予告 内では、私たちは現在進行形で釈迦の手のひらで遊ばされてる孫悟空なのではないか? と形容した問題提起ですが、これをもっと整理した言い方をすれば私たちは世界に対してあまりに無力なのではないか? とでも言えるでしょうか。


正直、私たちは無力です。空も飛べず、かといって海中で生きていけるわけでもなく、天候を操れるわけでも、他人の心を操れるわけでも、時間を巻き戻せるわけでもありません。


無論、科学技術やその他の技術によって手足を外挿しては来ましたが、それでもやはり多くのことが出来ないわけでやはり人間が無力なのには違いありません。実際、成長するということはある意味無力な自分と折り合いをつけていく行為なのかもしれません(無論、折り合いのつけ方には10人居れば10人なりの基準なり方法論があると思いますが)。


折り合いをつけて良くとは言え、私たちはそれでも世界に対する影響力を求めています。


身近な例としては、流行が最たる例であるといえるでしょう。流行に乗ることで周囲に良い印象で認知される(自分にとって有利な影響力を確保できる)事を求めるので、流行から外れる(影響力が失われる)ことを恐れる人は狂乱して流行を追い続けるわけです。影響力を失うことは自己が確保していた能力を失うことであり、ある意味で自己が縮小されてしまうことを意味します。逆に言えば、私たちは影響力を確保しているお陰で精神的に自己を保持しているといえます。


やはり、私たちは自分が世界に対してたいした影響力を持っていないと内心知っているこそ、やはり私たちは潜在的により大きな影響力を世界に対して行使したいと言う欲望を抱えているのであり、権力欲はこの欲求の一つの発現形であると言えると思います。権力は自分の周囲に対する影響力をより大きくしてくれるのですから。


このような観点で見れば、自己顕示欲は自分の存在が世界に対して影響力を持ったものとして扱われたいという欲望であり、物欲・財産欲はそれぞれ物品・金銭による影響行使力を所有したいという欲求と解釈できます。


これを推し進めると、凡そ欲望の類は自分の都合の良い状態に世界(人によって範囲はまちまちですが)を改変したいという欲求であり、何故欲望を掻き立てられるのかといえば、自分の影響力に不備があるのではないかと思うからに他なりません。


欲望を掻き立てられる状態 と言うのは一言で言ってしまえば領土の外に魅力的な土地を発見したり、自分の精神的な領土が奪われてしまったりしたとかいった状態なわけです。まぁ、前者は純粋な欲望として発現するのに対して後者は怒りとして発現しますが。


例えば、他人が道徳を乱すことに怒る人は、自分に影響を及ぼしている道徳が踏みにじられることに怒るわけですが、何故かと言えば道徳は普遍であると思う結果、道徳が等しく他人にも影響を及ぼしていなくてはならない(皆が道徳を守っているという観念はある種のその人の精神的領土になっている)と思い、その影響力を無視している人間が自分の理想を傷つける不快な存在に映る(精神的領土という喩えで言うなら、不法にも社会で共通の(そして自分自身の)精神的領土を不法にも侵そうとしている侵略者と言うべきでしょうか)訳です。


そう考えると結構下らないものに対して私たちは執着しているんじゃないかと思う(実際の領土問題が下らない とは言いませんが)のですが…とは言え執着なしの人生(領土一切放棄)も無味乾燥に過ぎると思いますし…折り合いつけていくのが難しい領域ですけど。もう少し自分の当然だと思ってる領土も見直していくべきなのかもしれません。


何だか宗教臭くなってしまっていけませんね。これじゃ何処かの宗教団体の啓発セミナーみたいです。




追記:


そう言う意味では、政治の議論が何故不毛になってしまうかと言えば、政治システムと言うのは即ちその政府が内外に働きかける影響力を制御するシステムであるから とも言えそうです。


つまり、政治論を熱心に語る人は、多かれ少なかれ社会(或いは政府)に対して自分から見て妥当な社会への影響力(或いは行使の仕方)をしてくれることを期待する(勿論、言論で社会が変わるかは別として)訳です。先ほどの喩えで言えば、社会のあるべき姿と言うのはその社会(でなければ主張してる派閥)が共有している精神的領土な訳です。それに反論する人物が精神的領土を不法に侵害する侵略者に見える可能性は十分にありうるわけです。


結局、政治について語っている人間が社会のあるべき姿を自己の精神的な領土に取り込んでしまっているが故に、そして精神的領土に対して執着を持つが故に、客観的な(と言うより感情的な傾向を排除した)議論を難しくしているのだろうと。


どこかの誰か様 も、精神的領土に執着したが故に汚い戦いを自己正当化してしまわれたのでしょう。 それと、最近はBlogも容易に自己の社会(Blog界?)に対する影響力を拡大しうる(少なくとも書く人間からすればそう見える)ツールであるが故に、危険であるのではないかとそう思っても居ます。


要するに、影響力が拡大したと思ってしまうことで本来以上に自己を拡大したものとして認識してしまう(えらいんじゃないかと錯覚してしまう)危険性があるのではないか と。

収拾がつくのはいつの日か…。

算術師です。

学祭も無事終わり、筋肉痛はするものの結構適当に寛いでいます。


結局経費が嵩んで模擬店の利益は殆ど出てないとか、後片付けのときに応援団相手に私がぶち切れてしまったりとかありましたが気にしてはなりません。


人には冷静になれ とか言ってる割に僅かの疲労で冷静さを失ってしまう自分が悲しいものです。要反省ですね。


まぁでも、応援団は学祭仕切ってるくせに周りの迷惑考えず大声で叫ぶわ、やっぱり迷惑考えずに昼間から延々酒飲んでるわ、そのくせ台車で荷物運び出そうとすると「規則なんで、例外認めちゃうと…」とか言ってくれる(学祭期間中、車両の通行禁止らしい)素敵団体なので不快に思うのは私だけではなかったようで。耳が敏感な所為もあってうんざりしていたので、正直お前が規則を語るのか? と言う不快感満載でした。どうやら、「規則なんで…」注意くれた応援団員は遠い昔に面識あったらしいのですが、不満感の表明は止まらず。何というか、その団体に所属していると言うだけで人をあれ程嫌悪してしまう自分にかなり愕然としました。





さて、予告 の通り新企画考えていきたいのですが…正直広げ過ぎてしまった風呂敷の広さに戸惑ってる状態です。


関連で以下の事項について考えないといけないのではないか? と現状思っている次第です。


未来は確定済みなのか?

私たちは世界の未来を変えうるのか?

私はどう生きるのか?


いきなり思いっきりヘビーです…。ちと収拾ついてないのと色々考えていかないとまともな文章書けそうに無いので明日にでも。


まぁ、久々にゲームやってたのも原因なんですけどね…。

PCは人身御供へ。

算術師です。

学際は順調に? 終わりました。
朝7時に集合とか言ってた割に7時30分開始だったり、午後6時まで撤収が終わらなくて結局荷物番として延々残されてたりと楽しい状態でしたが出店も売り切れて無事終了したようです。

今日は延々歩き周り走り回りでちと疲れてます。

私のPCは明日の朝からバリバリと働く義務が発生したのでそのまま部室へ軟禁状態となりました。
と言うわけで、PCをこれ以上触ってもいられないので今日はこれまでに。

予告しといてあれですが、疲れた頭で考えて変な文章載せるのは避けたいので申し訳ありませんが明日以降にしたいとおもいます。

では、申し訳ありませんが今日はこれにて。

2つの解釈について+次回予告

算術師です。

さて、連休です。

一昨日は、かなり適当に授業を消化してきました。もう本気で消化試合です。


現在学際の前準備段階です。前準備なのに既に徹夜組が居るのは気にしてはなりません。明日は春の学祭の本格準備で、明日明後日学祭です。その間更新が滞る可能性が非常に高いですが、予めご了承ください。






さて。ふと思い立ってWebでIQテスト なんぞ受けてみました。


http://www.iqtest.dk/main.swf


ドメインからして多分デンマークのサイトのようですが、最後に年齢を入力させる辺り、かなりしっかりした作りのようです。回答にやたら時間が掛かりますが(難問か途中で放棄しました)、空間把握と推測能力の両者をきっちり測定できている模様。


で、私の測定結果はIQ124程度のようです。確かIQ120で平均的な東大生水準らしいので、私は平均的な東大生と同レベルと言うことなのでしょう。数問放棄した割には非常に良い出来だと思います。 お暇がありましたら測定してみては如何でしょうか?






さて、今日は25日の記事 で広げ過ぎてしまった風呂敷を収束させにかかろうかと思います。…まぁ、更に広げてしまいそうですが。


量子力学の2つの解釈(コペンハーゲン解釈多世界解釈 )ですが、個人的には多世界解釈 の方がより妥当だろうと思っています。


コペンハーゲン解釈 は確かに有用であり、現代の物理学の発展にそれなりに貢献しては居ます。しかし、正直「観測されて初めて波動関数が収束する(状態がひとつに定まる)」と言うのは人間の認識の問題であり、人間がそのようにしか認識できないからと言って世界がそうであると規定するのは傲慢ではないかと、そう思うのです。世界は人間の認識とは無関係に存在しているのではないかと、私は思います。


…と、ここまで書いてなんだか判りにくい文章になってしまったので実生活に準えて解説を。コペンハーゲン解釈とは、物の形について「人間が見ることによって物の形は確定する。見るまでは不確定である。」と言っているようなものです。これに対して多世界解釈は「人間が見る見ないに関わらず物の形は確定しており、見ることで人間が確定できる。」という物です。如何にコペンハーゲン解釈が非合理的なものであるかはご理解いただけると思います。


勿論、直感に反するからおかしいと言うだけではなく、次のような利点もあると思います。


私たちの存在している次元は4次元(実際は時間の流れを私たちが知覚できないので擬似的に3次元ですが)と言われていますが、物質の根源としては11次元までの次元が存在するとの説があります。この説に則れば、私たちが知覚している4次元は11次元からの射影であり、無数の世界が多重化しているとの多世界解釈からの理解の方が無難なのではないか? 等と思うのですが…何にせよ物理について無知識な人間なのでこれが限界のようです。


こんな訳で多世界解釈が個人的には妥当なのではないかと思っているのですが、実際第一線の物理学者の間でも問題議論中ですし、別の第3・第4の解釈のほうがより妥当なのかもしれません。ご指摘その他ありましたら、お気軽にコメント欄などにお願いします。


さて、多世界解釈を前提とした場合、私たちの未来は私たちが関与し得ない多くの要素によって決定されているのではないか? と言う危惧が当然発生します。要するに、勝手に振られたさいころの目に従って行動しなくてはならないわけです。無論、多世界解釈を前提としなくとも、私たちの世界は無数の要素で構成されていて、無数のモノ・ヒトが影響力を行使しているのですから、25日の記事 の最後で述べた私たちは現在進行形で釈迦の手のひらで遊ばされてる孫悟空なのではないか? と言う問いはかなり現実味のあるものであると思います。非常に難しい問いですが。


今後暫く、これに関して考察していきたいと思います。


嗚呼、結局収束できずにまた風呂敷広げちゃいましたねぇ…。 

並行世界はいつ分岐するのか?

算術師です。

さて、散々寝たお蔭でそれなりに復調してたのですが、結局夜通し思考実験やってて知恵熱出ながら惰性で記事書いてました。

何だか激しく本末転倒な気がします。

最近腹筋を毎日してる所為か、何か腹が無闇に重いのですが…気にしたら負けだと思ってます。
やはり腹筋してから湿布でも貼って誤魔化しておきます。

最近野菜が無性に食べたくなるのは、良い傾向なのでしょうか?

嗚呼、何だか思考纏まってないですね…。徹夜とエントリ書くのに全力投球したからだと、そう思ってください。



さて、今回は大分前 に取り上げる取り上げると言っていた「並行世界が何によって分岐するのか?」について考えてみたいと思います。

とは言ってもこのトピック、調べれば調べるほど判らなくなっていってしまって途方に暮れています。
嗚呼、また風呂敷広げすぎたかなぁ…と、今更思ったり。

まず、並行世界 とは何ぞや? と言う人も居るかもしれないので簡単に並行世界 について軽く説明を。

並行世界 とは、一言で言ってしまえば私たちが住んでいる世界と「少し異なる」世界のことです。

並行世界の基本的なイメージは量子力学に於ける多世界解釈 に立脚していると思われます。

論争の経緯についてはこの記事 とかこの記事 とかが解説になると思いますが、例によって簡単に説明を。

電子やら光子やらを主役とするレベルの物理現象(要するに量子論の世界)では、物体の運動は確率論的にしか決定できません。また、運動の速度と位置を同時に厳密に求めることは出来ません(不確定性原理)。不確定性原理については説明し始めると1エントリ消費してしまうので、また別にエントリを起こそうかと思います。

兎も角不確定な運動をする世界に於いては、運動は確率論的に表現されます。単純に確率論的に表現されるだけで、運動結果が一意に決まるのか?と言うとそうでもないようで、光子1個単位で2つのスリットを用いて干渉実験(画像つきの解説がこの記事 に掲載されています。その他の部分 も理解の助けになると思います。文章はアレですが。)を行うと光子の分布パターンが縞模様になることが明らかになっています。

これが何を意味するかについては多数の解釈が存在します。

代表的なものがコペンハーゲン解釈 と呼ばれる物で、観測されるまで状態は決定できない状態にあるというものです。まぁ、かなり理不尽な解釈なような気もしますが、理論の扱いやすさから主流として使われています。(量子理論レベルの物体の運動は、厳密に言えば観測できない状態…つまり判らない状態なようです。実際問題。)

さて、これに対して多世界解釈 とはどのようなものかと言いますと、観測される前に既に状態は決定していて、実は結果Aとなった世界Aと結果Bとなった世界Bに分岐してしまっているのではないか? と言う考えです。

まぁ、二つの解釈はどっちがより妥当なのか(どちらが正しいか? は今のところ不明であると思われます)は現在進行形で思いっきり論争中 なのでこの際考えないことにしておいて(並行世界を考えるので、今回は多世界解釈 を採用することになります)、並行世界について考えることにしましょう。

さて、平たく言ってしまえば多世界解釈 をちょっとSF的に拡大解釈したのが並行世界です(実際のところ、多世界解釈を主張する研究者は、一般的な並行世界 の概念は正確な物でないと主張しています)。判りやすく言えば、選択肢方式のアドベンチャーゲームのエンディングみたいに、選択肢によってそれぞれ違う世界がその後待っているのではないのか? と言うものです。要するに、個人の行動が世界を分岐させてしまうのではないか? と。この説明で判らない人は、某車でタイムトラベルする映画 でも見てください。多分一発で判りますから。

この考えに拠りますと、私たちが普段している山ほどの選択の結果が、それこそ無数の分岐を産み得ると、そう言うことになります。それこそもしもの世界ですね。私が今Blogを書いていない今とか、私がこの記事をもう書き終わっている今とか、はたまた完全に健康を取り戻してて全然別のことをしている今とか、そんな物があるかも知れないのです。今の私には見ることも出来ませんが

さて、私の個人的解釈ですが…。正直、個人の選択で世界が分岐するなんて甘いと、そう思います。世界に対して人間なんてちっぽけな物です。この宇宙を1つの物体と考えると個人の行動で地球の歴史が大幅に書き換わろうが、そんなものは誤差です。まぁ、勿論大昔には地球の歴史に対して人類の行動がちっぽけだったことを考えると今後も宇宙に対して人間がちっぽけであると言う証左はありませんが。

何も世界を分岐させうるのは個人の選択だけではありません。それは水分子の振動だったり、天体の運動だったり、素粒子の運動だったりするのだと、そう思います。SFとかの並行世界と言うのは、個人の行動が世界を分岐させうる面を取り上げすぎている(個人の影響力を誇大に見せている)のだと思います。まぁでも、個人の影響力が大きくない(物語の結末に寄与しない)お話は面白みも何もないのである意味仕方ないのかもしれません。兎も角、世界が私たちにとってその選択がどれだけ大事かなんて理解できない(少なくともその可能性が高い)のだから、全ての揺らぎ(世界の分岐の種になる事柄)は等価で扱われていると考えるのが自然ではないでしょうか?

多分、それこそ並行世界なんて無数にあるんです。ただ、人間の目には無意味な、そして大差ない沢山の分岐も含めてそれこそ無数に。

そして、私たちが知覚しているのは無数の分岐を綴った世界のその内の一つの射影に過ぎないのかもしれません。いや、寧ろそうなのでしょう。だとすれば、やはり世界は理不尽な物なのかもしれません。私たちは選びたくてこの選択肢を選んだ訳ではなく、この選択肢を気付けば選ばされていただけなのかもしれません。

結局、私たちは現在進行形で釈迦の手のひらの上で遊ばされてた孫悟空なんでしょうか…。

何だか見当もつきません。



今回参考にしたページ

哲学的な何か、あと科学とか
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/index.html

Dr. Sakaguchi's Homepage(Japanese)
http://www.threeweb.ad.jp/~qm/index_jap.html

MOON LIGHT EXPRESS
http://www.mlexp.com/

Wikipedia(日本版)
http://ja.wikipedia.org/wiki/



2005 4 25 09:30 の加筆修正

ページの表示が文字化けする不具合を調整。

さて、と。

算術師です。

輪講の発表の方は無事(?)終わり、ほっと一息ついています…と言いたいのですが、実は私含めて3人だったのが2人しか発表できず3人目だった私は次回に後回しとなりました。

最初の発表者が1時間ほど突っ込み食らい続けたのが原因でした。
他人の振り見て我が振りもちと修正したいと思います。



さて、その後の飲み会(昨日)ですが、1回生が凄く元気でテンション高かったです。
14人ほど来てくれてて、この人たちが定着してくれればかなりこの部も安泰 といった感じでした。

2時間耐久で飲みに行ってたり(私は行ってない)、4時までカラオケ行ってたり(結局行った)ともう信じられないくらい元気でした。

取り敢えず、暫く声は出そうにありません。


 
明日の内に真面目なエントリを1つか2つ起こせれば良いなと思います。
今日は日課の運動して寝ようと思います。

よし、完成。

算術師です。

昨日の晩と今日の早朝を利用してようやっと輪講用の資料が出来ました。

スライドで24枚と、かなり無駄に枚数が多くなってしまいました。
私には資料作成の才能は無いようです…。精進しないといけませんね。
自分のPCにパワーポイントが入ってなくて急遽買いに走ったのは内緒です。



さて、今日は新入生歓迎会です。
取り敢えず、上回としては新入生から色々話を聞きだしたり、飲めそうな人を酒部(サークル内団体。主な活動は飲み会)へと勧誘してみたり…まぁ、いつも通りのスタンスになりそうです。

飲み会自体は問題ないのですが…出費が痛い限りです。
飲み会5千円・パワーポイント1万2千円とか高すぎだと思います。

 



真面目な雑記も書きたいのですが、書き始めると授業そっちのけになってしまいかねない自分が怖い(まぁ、次の授業は必修で無い+単位上も余剰名単位なのでいく必然は無い授業ですが)のと、最近ネット依存症なのではないかとちと不安なので更新控えめに行きたいと思います。

あ、朝だ…。

算術師です。

輪講の資料を読んでいたらこんな時間になりました。
取り敢えず9割方理解できたので発表資料の作成に移りたいと思います。
…。中々長い戦いになりそうです。

来週以降もこんなペースで資料を作って発表、と考えるとかなり気が重いです。
明らかに他の学校より厳しい気がするのですが…。これは幻覚でしょうか?
来週以降は土日に資料が完成している方が望ましいなぁ…。と思いました。



さて、金曜日を乗り切るとサークルの新入生歓迎飲み会です。
今年は新入生と参加可能上回生がほぼ1:1という恐ろしい比率で正直バイトにも出てない自分としては出費が痛いです。バイトしないとそろそろ財政難も良いところです。

取り敢えず、知り合いの伝でバイトを探してみようと思います。(候補は既に絞ってあります)
まぁ、問題は週3日が5限上がりでバイト時間が限られるところですが、その辺も含めて処理できるようになっておきたいかと思います。(要はリハビリの一種)



学期初めの割になんだか忙しくてうんざりですが、取り敢えず体力面を見ながら卒無くやっていきたいところです。